2.
元は酒蔵だったという半地下の個室で、メイナはベッドに腰を下ろして一息ついた。天井近くにある小さな窓からは、暮れなずむ空だけが見える。元酒蔵であるためか、室内はひんやりと涼しい。内装も意外と小奇麗で、メイナは少し笑った。
「意外といい部屋かも……」
ごろり、とベッドにひっくり返って紫色の空を見上げる。上階の一等の部屋ではアルガやクレイド、トキア達が休んでいるのだろう。メイナ一人が三等の、酒蔵を改造した部屋に泊まっているのだが、これならば別に不満はない。そもそも不満など言える立場ではないのだし、何よりアルガと別室で、一人でのんびりできるのがありがたかった。
その夕刻、森を抜けて宿場に着いたメイナたちは、その宿場の中でも一級の宿に入った。宿に入るときは必ず、アルガは一人部屋をとる。クレイドとトキアは二人部屋で一緒に休むのだが、アルガは決してメイナと同室になろうとはしなかった。
今回もその例に漏れず、初めアルガは一等の二人部屋を一つ、一人部屋を二つ取ろうとした。しかし、運悪く一等の部屋は二人部屋が二つしか空いていなかったのだ。無論クレイドとトキアは一等の二人部屋に二人で宿泊することになった。一方アルガとメイナはというと、まずアルガが一等の二人部屋に一人で宿泊する事を決めた。そしてメイナには二等の部屋に空きがなかったため、三等の個室をとったのだ。
おそらく一等の部屋があと一つ空いていたら、メイナもそこに泊めてもらえただろう。その辺りを変にケチったり、意地悪くするアルガレイスではない。金銭的にも地位的にもとても恵まれた良家育ちのアルガレイスに、そんな発想はないのである。
「はあ……結構疲れたなあ。アルガレイスの荷物、重たいよ」
半日彼女の荷物を担いでいた肩がだるい。一体何が入っていたのだろうか。身だしなみに気を使う彼女の事だ、きっと櫛や手鏡、香油瓶や装身具の類も入っているのだろう。盗まれたらどうするのだ、と思わなくもないが、クレイドもアルガレイスも、そこら辺の夜盗や山賊など一瞬で蹴散らせるだけの実力を持っている。多分そういう心配はないのだろう。
彼らはこの国の各地方を治める領主……貴族の子弟である。クレイドはバルホーク家、アルガレイスはペリドレイト家のそれぞれ嫡流で、トキアはペリドレイトに仕えるスルヴィン家の人間だった。彼らは普段、王都の屋敷に暮らしているが、そろそろ成人ということもあってそれぞれの領地を見聞し、社会勉強をする為の旅をしているのだそうだ。
次第に薄暗くなり、色彩を失う部屋の中で、メイナはそっと目を閉じた。
起き上がって灯りをつけるのも億劫だし、食事は既に済ませてあるので、集合に遅れてアルガレイスにどやされる心配もない。少し重たい額のうえに手のひらを乗せて、ゆっくりと溜息をつく。
「やっぱり、傀儡と遭うと必ず来るなあ……」
傀儡と遭遇し戦闘を経験すると、必ず頭痛に襲われる。クレイドらと旅をしてきたこの一ヶ月、ずっとメイナを悩ませてきたものの一つだ。
「あたし、傀儡に何か嫌な思い出とかあるのかも」
むしろ、傀儡が原因で記憶喪失になったのではないか。それは、かなりありそうな話だった。
暴走・反乱した戦傀儡は人間の支配下から逃げ出し、森や荒野に潜んでは徒党を組んで人々や街を襲うようになった。幾つもの街が破壊され、国の至る所で死人や孤児、難民が出ている有様である。これまで一ヶ月、メイナがクレイドたちの一行から離れられなかったのもこのためだ。
閉じた瞼の裏に、昼間の光景がよみがえる。
あの獅子型傀儡を見た瞬間、足が竦んで体が言う事を聞かなくなった。
まるで自分がぜんまい人形にでもなったかのように体の動きがぎくしゃくして、トキアについて走ろうとするとバランスを崩してしまった。
これまで何度も傀儡に遭遇し、その度に体が動かなくなるのは自覚していた。だから毎回、今度こそは、と必死で身体を動かそうとするのだが、毎回上手く行かない。今回などは無様に転んでしまい、挙句クレイドに怪我までさせてしまった。
メイナは寝返りを打ってうつ伏せると、布団を持って固く目を閉じた。
そうして振り払おうとしても消えてくれないのは、赤黒い染み。
クレイドの肩を染めていた血の赤が、震えるほど怖かった。
アルガレイスに責められるまでもなく、メイナはクレイドを負傷させたことを激しく後悔していたし、役立たずどころか足を引っ張ってしまう自分を情けなく思っていたのだ。
ただ唯一の救いは、自分に「癒し」の能力がある事。
「この力があって……良かった……」
恐ろしいあの染みを止める事ができる。自分が淡い想いを寄せる、優しい少年を癒す事が出来る。
「あと、三日……」
あと三日で彼らと別れ別れになってしまう。何も覚えておらず、身寄りも何も分からないまま。とても不安だし、何より寂しい。だが、もうこれ以上足を引っ張らずに済むのは嬉しくもあった。自分は戦いの場には向いていない。それはこの一ヶ月だけでも嫌というほど思い知らされている。付いていけば迷惑になるだけだ。
「あと三日で……」
もう二度と、あの空色の眼には逢えなくなる。
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