オルダートたちのクラス替えは、寮の部屋替えの後に行われる。よって春期休暇が明けてすぐは二年時と変わらない。本格的な三年生の授業が始まるのは明日、新しいクラスになってからである。
新しいクラスは選択した専門課程ごとに分けられるので、オルダートの相棒となったアルスロッドはもちろん、同じ機甲隊志望のクルトとその相棒の少年も同じクラスとなる。クルトはその新しい相棒、ディーロ・エスペランザと共にオルダの部屋の前まで来ていた。
「あ、俺は二組のオルダート・リーアウェール。オルダでいいよ。よろしくな」
笑って右手を差し出す。相手の少年はオルダートとクルトの中間くらいの背丈で、黒髪を一つに束ねている。意志の強そうな太めの眉と少しきつい目元が、オルダートの名を聞いて驚きに見開いていた。
「ディーロ・エスペランザだ……。まさか、あの『リーアウェール』……だよな」
呆気にとられたような言葉に苦笑する。自分の名は、彼が本当にエスペランザの関係者なら知っていて当然のものだ。自分はおそらく、二年ぶりにこういった反応の嵐に遭うのだろう。そうオルダートは内心溜息をついた。
「おう、不肖の嫡男だ。エスペランザだろ、どっかで会った事あったか? 俺全然家の行事とか出ないし……」
むしろ今は出奔中に近い。そう、心の中でだけ付け加える。それにディーロは、口の片端と片眉をわずかに上げた。少し皮肉っぽい笑い方をする奴だな、とオルダは胸の中で感想を述べる。
「いや。俺も家のほうにはほとんど関知しないからな。庶子の次男だ」
素っ気ない口調はオルダの新たな相棒殿と相通じるものがある。似た者同士でつるんでいると、その相棒同士も似通ってくるのだろうか。クルトを見ながらそんな他愛のないことを考えた。オルダと目の合ったクルトがにっか、と得意そうに笑う。
「ま、そーいうこと。オルダは俺と同じクラスで、いっつも一緒に飯食ってんだ。これからディーロも一緒なー! って、ところでオルダ、お前の相棒は? やっぱ全然脈なし?」
それにオルダは、とりあえず部屋の前を離れて食堂に向かって歩き出しながら答えた。
「すげなく断られたよ。まあ、予想はしてたけど」
クルトがディーロを引っ張るようにそれに続く。何処となく一歩退いた印象を受ける黒髪の少年は、どうやらクルトの少々強引な親愛表現に戸惑っている様子だ。
頭の後ろで手を組んで溜息をつくと、クルトの勢いに圧され気味らしいディーロが首を傾げた。
「どんな相手なんだ?」
「すっげープライドの高い、ガードの固い秀才美人!」
「それがお前のカーシェに対する認識か……」
嬉しそうに、オルダを遮って答えたクルトに笑う。ディーロは益々不可解そうな表情をした。確かにこれだけでは他クラスの生徒には分からないだろう、とオルダは説明を付け加える。
「アルスロッド・カーシェって奴。多分学年で総合トップくらいの成績を取ってるから、名前くらい見たことあるんじゃないか? でも、無口で無愛想で、クラスにも親しくしてる奴いないんだよ」
「ま、それを気にしてる感じでもないしなー。ってか、周囲には興味ナシ、みたいな? 俺らなんかと馴れ合う気はない……って感じかも」
階段を降り、渡り廊下で繋がった食堂へと入る。点呼も兼ねて全員で一斉にとる朝食と違い、夕食はそれぞれが食堂の開いている間に食べれば良い。オルダたちはトレイに、厨房と食堂を仕切る棚に陳列された今日の夕食を乗せ、椀にスープをよそって空いたテーブルに陣取った。
「けど……そんなに悪い奴じゃないと思う」
突然漏らしたオルダに、残りの二人が眉を寄せた。フォークやスプーンを取り上げた手を一旦止めて、オルダの方に目を向ける。
「カーシェ、って奴の事か?」
そのディーロの問いにオルダは頷く。
「そら別に悪かないだろうけどさ。悪い奴してるとこ、見たことねえし」
ただ、良い所を見せたこともないだけで。そう、もぐもぐとパンを頬張りながらクルトは続ける。実際には「悪い奴」だという噂はそこかしこに、バリエーション豊かにあったりもするのだが、この友人は基本的に自分の目で見たものしか信じない。よって愛想のないアルスロッドに苦手意識は持っていても、それ以上の悪感情は抱いていないのだ。こういう所はクルト・ナイザスという男の長所だろう、とオルダは常々思っている。
「まあ、な」
自分も夕食を口に運びながらオルダは頷いた。そうしながらついさっき、部屋での事を思い出す。
「んー……こう言っちゃ失礼かもしんねえけど、俺が荷物運ぶまで片付け待っててくれるとは思わなかったんだよな……」
「どゆこっちゃ?」
唐突な話の展開に、付いて行けなかったクルトが口をへの字に曲げた。怪訝そうに眉を寄せるクルトの横で、ディーロは何が言いたいのか分かったらしく僅かに頷く。このディーロという少年、クルトよりもかなり察しが良い人種らしい。
「お前らはどっちが入り口側になったんだ?」
新しい部屋の入り口側と奥の水周り側、どちらを誰が選んだのか、という問いである。
「あー、俺」
残念そうにクルトが答えた。寮では夜に二時間半の自習時間がある。その間、ちゃんと勉強をしているかどうか、二、三度舎監が見回りに来るのだ。そしてもしサボっていた場合、当然入り口に面している机の方が発覚しやすい。よって、並程度に不真面目な者なら、部屋の中でも出来るだけ奥側を選びたがるものなのだ。
「コインで賭けて俺が勝った」
ディーロが淡々と付け加える。
「俺はカーシェが『好きなほうを選べ』って言ってくれたから、奥取らせてもらったんだけどよ。まあ、別に入り口側を嫌がりそうな奴じゃねえけど、正直……こっちの意見を聞いてくれると思ってなかったんだよな」
オルダたちのようなそこそこ不真面目な者の間では当然の配慮なのだが、彼本人がそういった事を気にしない人間なのはほぼ間違いない。にもかかわらず、それを尋ねてきた事が何となくオルダは嬉しかったのだ。
「ふーん、ナルホド。ま、頑張れ!」
納得したのかしないのか良く分からないが、素晴らしい笑顔でクルトは、激励の言葉をオルダに賜った。
部屋に戻ったオルダをまず出迎えたのは、既に完璧に片付けられたアルスロッドの個人スペースだった。その主はすぐには見当たらず、部屋に入ると奥のほうで水音がする。どうやらシャワーを使っているようだ。
「まずは会話から、だよな」
クルトに言われたからではないが、頑張ってみようとオルダは気合を入れる。こういうものは最初が肝心なのだ。交わすべきタイミングで会話を交わしておかないと、後になればなるだけ気まずくなる。まずは自己紹介からか、と同学年の、しかも男相手に無駄に緊張してオルダは会話の計画を練った。
シャワーの音が止み、ガタン、と浴室の扉を開ける音がする。とりあえず本棚に納めるべく、まだ床に積んであった教科書類を抱えつつ、オルダはアルスロッドが出てくるのを待った。
しばらくして、部屋着兼寝間着兼体操服であるトレーナーを着込み、肩にタオルをひっかけたアルスロッドが出てくる。片手には洗濯物を放り込んだカゴを抱えていた。話しかけるタイミングを計っているオルダの方を見遣り、一拍置いて彼は言った。
「お風呂、お先に」
「……あ、ああ」
予想外の言葉にぼんやりと頷いてから、我に返ったオルダは口許が緩むのを自覚した。本当に予想外、である。まさかそんな普通な挨拶をしてこようとは。しかもどうも、それをすべきか否か、一瞬悩んだらしい気配まである。
俄然勢い付いてオルダは、アルスロッドに話しかけた。
「えーと、改めて俺、オルダート・リーアウェールな。オルダでいいよ。出身はなんつーか、まあ、リーアウェールって姓で分かると思うけど首都だ。よろしく」
カゴを抱えたまま立ち止まり、アルスロッドは自己紹介を始めたオルダを見る。オルダの行動が意外だったのか、軽く目を見開いていた。しばらくしてから、普段の抑揚のない表情に戻って答える。
「……アルスロッド・カーシェ。出身はシェトラールだ」
「! やっぱ、ホントにシェト出身なのか」
シェトラールと言えば、貧しく治安の悪い南部地方の中でも、最も悪名高い街の一つである。そこは国家の権力の届かない無法地帯……否、別の秩序が支配する別の国と言っても過言ではない状況だったはずだ。
「そちらこそ本当にあの、リーアウェールの人間か。十貴族トップの」
頷いたアルスロッドが尋ね返してきた。僅かに眉根を寄せて怪訝げな表情を見せている。
そう、リーアウェールとは旧十貴族のうち、最も由緒ある名門二家の一つであり、現在でもこの国において比類なき影響力を持つ家だ。十貴族とは、近年まで帝政を布いていたこの国において皇帝を支えた貴族達のうち、皇家と血縁を持った名家十門を指す。特にリーアウェールは、帝政が覆されて他の貴族家が没落するのを尻目に、やり手の当主がうまく時流を読んで新政府に味方し、挙句貴族でありながら商売で成功してしまったため、現在でもとんでもない発言力を国の中で有しているのだ。
「はは、まあな。……一応、隠すことでもないだろうから言っとくと、嫡男だ」
「…………」
流石に驚いたらしいアルスロッドが押し黙る。それまでとは一転、オルダの方が珍獣扱いの様相だ。
「確か、リーアウェールの嫡男は一人と聞いたことがあるが」
「おう。俺だけだな」
現在の当主夫妻、ゲルナードとエヴァリーズの間の男子はオルダただ一人である。上に姉が一人居る事は居るが、いささか彼女も訳ありで、正面切って嫡子とは公表されていない。
「何故、こんな所に居る?」
直球の質問に笑いが洩れた。アルスロッドの声音には呆れの色すら見える。変に動じないその様子に、ますます自分の中でのアルスロッドの評価が上がっていくのをオルダは感じた。
「オヤジが嫌いだから」
同じく直球で返すと、相手は呆れたような、面白がるような表情で眉を上げた。
「成る程な」
士官学校は全寮制。外部との接触はかなり制限され、さしものリーアウェールの影響も届きにくい。学費もかからず、南部に行くような危険もなく、出奔先としては理想的だったのだ。
「アルスロッドは……アルスでいいか? アルスは何の縁で……?」
失礼かもしれないとは思ったが、気になるのでさっさと尋ねておくことにする。シェトラールなどから、この首都にやってくる人間はごく稀なのだ。同じ国にありながら、それだけ首都を中心とした北部と、南部の間には隔たりがある。北部の人間は比較的裕福な者が多く、南部の貧しい人々を蔑む傾向があるし、逆もまた然りであった。
「ああ。死んだ親の知り合いがこちらにいて、たまたまその人物に拾われたからだ。士官学校に居る理由は、とりあえず士官になりたいからだな」
「ふうん、そっか……」
南部出身の孤児として、軍人として上を目指すのは並大抵の事ではないだろう。この国の権力は北部の人間に集中しているので、当然南部出身の者が出世しようとすれば風当たりは厳しい。いつも黙々と勉強しているのは、それを覚悟しての事なのかも知れない。
家出先に士官学校を選んだだけで、軍人になる事に特に野心はないオルダは何となく、引け目と羨望のようなものを感じた。
そんなオルダの様子を見ていたアルスが不意に動く。カゴをクローゼットにしまい、真っ直ぐオルダの方に向き直った。クローゼットを閉める音の余韻を残して、一瞬部屋に静寂が落ちる。
アルスが、藍色の目でオルダを射抜く。その視線の強さにオルダは驚いた。
「一つ、言っておきたい事がある」
それまでと何ら変わらぬ平静な声のまま、アルスロッドが前置きした。
「俺は、白襟を着る。お前は、俺とこれから二年間組む覚悟があるか?」
白襟とは、その年の卒業生のうち、卒業成績が極めて良かった者十名にのみ許される襟色だ。他の卒業生は一般士官候補生として、青襟の軍服を着ることになる。いくら機甲専科が士官学校全体の中でトップエリートであったとしても、学校全体で上位十名に名を連ねるのには相当の努力と才能が必要になるだろう。
自分は何が何でも白襟を着てみせる。お前は、自分と一緒にそれをする心積もりがあるか。そう彼は尋ねてきたのだ。機甲専科は二人一組。成績も両者のものを総合して評価されるのだ。つまり、アルスが白襟を着られる成績を取る為には、オルダも同じだけの成績を取らなければならない。
「な、なんでまた……」
流石に即答できず、オルダートは尋ね返した。突拍子もない話に、相手の顔色を窺う。
「上に行って、やりたい事がある」
きっぱりと言い切ったその目は静かで強く、掛け値なしの本気であることが伝わってきた。絶句するオルダの返事をしばらく待った後、アルスは、今度は部屋の出入り口に向かって歩きながら付け加えた。
「ペアの組替え申請受付がある一ヵ月後までに答えを出してくれ。無理と思えば申請を出して欲しい。その場合はすぐに同意する」
今まで何度かしたように、ちらりとオルダの顔を見遣り、そのまま部屋から出て行く。恐らく食堂に向かうのであろうその背中を、オルダは呆然と見送った。
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